give and take
夫は感情面での give and take があまりない人です。
take は相手がそういう人だからそうしてくれているんでしょう、give は自分がそういう気持ちになったときにしています、という雰囲気で非常にナチュラルに生きてるように見えるとでも云いましょうか。
こちらは人付き合いにおける所謂気持ちのやりとりに慣れていたため、相手から感じられるキモチが少ないことにときおり違和感を感じ、年を追うごとに極端に少なくなっていった愛情表現に対して、今はほぼ諦観しているという状況です。
give and take なんて世知辛いことを考えずに 神の愛のごとく見返りを求めず愛せたらいいんでしょうか。だけど私はどこまで行ってもただの人間なので、煩悩の愛というか人の愛からは抜け出せそうにはありません。たまには愛されているという実感を味わいたい。小さなクルーを探して嫌われてはいないんだろうって確認する日々は、諦めているなんて言っててもやっぱり辛いものなのです。
ちなみに夫、仕事やモノに give and take があるのは心得ているみたいなので、give and take が基本的な人間関係で、give and take plus something sweet が愛なんだと覚えてもらえないかな、なんて思ったりしています。そうじゃないと優しくしたいときだけする気まぐれな人に見えちゃうからね。だけど・・・、下手すると、愛に give and take を持ち込むのは汚い、とか考えていそう。いやいややっぱりそんなこと何にも考えていないのかも?
今日はちょっと注いだデザートワインが something sweet になっています。夫、なかなか帰ってきません。
出会った頃のことを思い出す
このごろでは思い出してみることもなかったんですが、わたしは矢のように一方に向かうこの人の様子に惹かれたんでした。こういう猪突猛進型の人って当時でも珍しかった気がします。
気持ちと行動が一致してる様子が面白かったというか、話は弾まなくても好意がぽんとそこに投げ出されてるのが分かって、一緒に海や山へ出かけたりするのが楽しくて、それなら言葉なんて要らないとそのころは思っていました。この人が私のどこを見て面白がってくれていたのかは今もってよく分かりませんが。
私たちの性格なり性質の凸凹はふんわりした気持ちで満たされ少しずつ膨らんで緩やかなカーブを描き、2人ちょうどぴったりに形よく収まっていたようでした。
時おり感じる小さな違和感は当時、こんな人は見たことないなー、とうまく変換されていました。お付き合いを始めて1ヶ月で遠距離が始まり、1年間会えなかったのもいい具合にフィルターとして機能していたんだと今では思います。
出会った頃を思い出すって、なかなか効果的ですね。考えながら少し優しい気持ちになれました。
夫のいいところを挙げてみる
夫のいいところを思いついたものから書き出してみます。
干渉しない
子どもに理不尽なことを言わない
自分の身に着けるものや身の回りのものは自分で調達する
帰宅時刻が遅いのでだいたい先に横になっているのですが、そのことで不機嫌にならない
暴力を使わない
ちゃんと決めた分は家にお金を入れてくれる
(当たり前のようでそうでもないようですのでこれも入れておきます)
最初の2つは、「夫のしたいことの邪魔にならなければ」という注釈が入ります。
他にもいいところはいろいろ知っていたのですが、快活さ、マメさ、気配り、結婚が決まった頃から少しずつ見えなくなってていきました。もちろんなくなったわけではなく家庭以外の場所で発揮しているようです。外では相変わらず賑やかな人物だと思われているようですが、それがこの人の気遣いの仕方なんだと徐々に気付きました。気遣いをしなくていいときには完全に単独行動を愛す人です。
それにしても、いいところを考えると、それと背中合わせになっている困ってるところにも自然と気持ちが向いてしまいます。いいところだけを考えたいのに。